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健康に最上の効力、真のプロポリスを求めて22年

Teisuke Terao「七転八起」と言われます。寺尾貞亮は1939年生。私達の父はピアニスト(本籍、新潟県佐渡相川出身)。は第二次大戦中、京都にて、軍事工場にかりだされ、急性肺炎になり、当時は医者も薬も無く、(私が5才半の時)私達家族の目前で、天に召されました。 1945 年には、母の里長崎に疎開して被爆。 46年、母が再婚、野山と海に恵まれた西海で、少年期の8年間を農家で成長しました。私自身,1才の時に肺炎を患い、その後、被爆したためか、慢性中耳炎となり病弱の悲しみを体験。母が再婚した父は、大酒飲みで酒乱の為私達家族は、再婚の父と別れる。私が21才になった時、大自然の豊かなブラジルに憧れ単身渡伯。ブラジルに到着第一歩は、南リオ・グランデ州にて、トマテ栽培に3年従事、農薬に犯され離農。 各州を流浪し職を転々とし後、サンパウロ市にて、メリヤス工場に就職した2年目に、大腸炎を患い倒れる。 死線をさまよった時、キリスト教会を尋ねK.T師にみちびかれ、66年キリストを、私の魂の救主として信じて受洗。 69年、心身ともに元気をとりもどし結婚。10年間、家具業にて支店3店を持つ様にまでうまく行っていましたが、大インフレの大波にあおられ、40才の時に倒産。81年、途方に暮れて、絶望状態にあった時、結婚した時にプレゼントされた、“ミレーの晩鐘”の画を見た瞬間、農夫婦が、1日の仕事を終え、神様に1日のお守りを、感謝している姿を見て、「これだ!!」。と都心より田舎へ移転。自然が大好きな(私達家族5人)は、サンパウロ市より170キロほどのコロニヤ・ピニャール(日系移住地)へ日語教師の職を得移転。日語教師4年間の中、その所が蜜蜂に恵まれた里でした。余暇に養蜂を開始。83年、蜜蜂の巣の中に天然抗生物質“プロポリス”の存在に気づきました。1984年、早速、英文・仏文・のプロポリス資料を研究し、病弱である自分自身に試し、健康回復に効力のある事を確信致しました。1985年、日本にて、世界養蜂会議でプロポリスが話題になり、健康回復にすぐれた健康食である事が評判となり、人気上昇しました。当初、少量でありましたが、日本向け、発送を開始いたしました。1986年、にカッポン・ボニート地域の蜜蜂の巣の中に、茶緑系プロポリスを発見、微量しかないこの種のプロポリスを求めて、年月をかけてブラジル各州を探索しました。結果、この種は、サンパウロ州の一部、パラナ州の一部、ミナス州の一部等で採集可能である事が判明。中でもミナス州産は、分析の結果からも、優良なフラボノイド中、アルテピリンC 等の含有量が豊かである事も明確となりました。 1988 年、当時、少数しか存在しなかった養蜂家達にこの種の茶緑系(グリーン系)プロポリスの採集を指導し、早速、日本養蜂新聞社のK.F氏にも、手紙で報告いたしました。 K.F氏は、私とは一面識もなかったのに、旅費を送金して下さり、故郷日本へ、28年ぶりにプロポリス30Kgを手みやげにもって帰国。家族、親戚、一同と、涙の再会の喜びを、満喫させていただきました。養蜂開始より今年で22年目となり、いらい、この茶緑系プロポリス(グリーン系)を発見させて頂いた事と、この種のプロポリスに全力投球させて頂いた事が、会社の発展となり、また、日本のプロポリス取り扱い会社の方々と共に今日まで発展させていただきました。近年では、漢方薬の国、中国にまで、原料及び製品を輸出させていただき、ただただ、天主様にこの恵みを心より感謝させていただいております。

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